生うどんつちやブログ

鹿児島県鹿屋市にあるうどん屋です。

夕日と夕陽。

先日、 あるご縁から辻田真佐憲さんとご一緒させていただくことがありました。辻田さんは評論家、 近現代史研究者でその仕事を見たことがある人もいるかと思います 。

辻田さんはここ大隅の歴史的な資料、 史跡を見てまわる取材でいらっしゃいました。二階堂家住宅跡地、 吾平山稜など誰もが知っているところから、 肝付町の神武天皇御降誕傳說地など、 こんなところがあったのかと、とても興味深い体験でした。

その中にはすぐ近くにある零戦を格納していた掩体壕(えんたいごう) もありました。これは、 この地から特攻隊が飛び立ったという歴史的な価値のある史跡です 。ただ、僕は恥ずかしながら子供のころから「防空壕」 と呼んでいたので、 すっかりあの史跡は防空壕と思い込んでいました。

小さい頃の僕は父親と夕方の散歩に行っては、その「防空壕」 の上に乗って遊んでいました。そして記憶の「防空壕」への道は、 わだちの間に枯草が帯状につづく細いじゃり道でしたが、 今ではしっかりとしたアスファルトの道路に変わっており、周りにあった黒土の畑は、 資料としての掲示板が建てられた広い駐車場になっていました。

 

驚きました。僕にとっての「防空壕」は、 その土地に溶け込んでいるナニカでした。 それは子供の遊び場であり、周りは雑草も多く、 コンクリートの塊であるとはいえ、そこはただの畑の一部であり、 雨が当たらないから便利だと、 たい肥を山にして置く場所でしかありませんでした。 ずっとそのナニカのままだと思っていました。

その後の取材でもいろいろな場所に行き、 夜には私の息子も含めて三人で食事に行きました。おでんの「 黒じょか」に行き、ふだんご一緒できるようなことはないので、 聞けないような、話せないような話をずっと二人でしていました。 二次会で「716」にも行き、 そこには友人たちも偶然やってきて、 辻田さんも含めてみんなで楽しくお酒を飲みました。 辻田さんはとても親しみやすい人なので、 僕の友人たちも含めみんな楽しく過ごせたと思います。

僕もとても楽しかったです。楽しかったのですが、 それと同時にこうも思いました。 僕は友人たちに辻田さんのことを紹介はしましたが、 友人たちにはおそらく彼がどんな人物でどんな仕事をしているのか は、伝えはしても理解はできなかったと思います。 自慢したいわけではなく、それでいいと思いますし、 彼もそんなことを気にするような人ではありません。 それはまるで、 いま乗って遊んでいるものが歴史的な文化財だと分からずに遊ぶ子 供やただ便利だと畑仕事に使われるのに似ているようにも思いまし た。そして、繰り返しですが僕はそれでいいと思うのです。 僕が好きな「知的好奇心や知識」 みたいなものを僕が仮に持っていたとして、 それと同時に身近な友人たちと話ができなければそれにどんな意味 があるんだろうと。

僕は教養もないのに、このような文章を書いています。 僕を知る多くの人が「あいつは変なやつ」 と思っているのも知っています。それでも、 僕はいつかわかってほしいと思っています。 一緒に面白がってほしいと思っています。 本当にそんなことができるのか。 できたとしてどれくらい時間がかかるのだろうか。

それは何も知らずに、若い父親と「防空壕」 に乗って夕日をながめていた小さな僕が、 その経験のさまざまな意味をこの歳になって少しは理解したように 、同じくらい小さい息子が、僕がしていることや、 考えていることに、 いつかなにかしらの意味をもってもらえたらと思いました。

僕がかつて見たあのころの夕日、 かつてこの地で零戦が飛びたった夕陽。

それが歴史や時間というものの役割なのかもしれないと思いました 。