今日はとても疲れたので、ほのぼのおかみと外で食べることにしました。
ファミリーがまったくいない田舎のファミリーレストランに来ています。 (ヤンキーしかいません。)
昨日、今日と、生うどんつちや100人を超える、なまうどんどっとこむでした。
ありがとうございます。
最近よいです。
(入店時、入ってきたぼくらに、ヤンキーたちがにらみをきかしています。さっと目をふせて、着席。)
ファミレスの広いテーブルで食事をしながらこれを書いています。
今日はがんばったので、ほのぼのおかみの許しを得て、生ビール。(申請許可制)
乾杯。
スマートフォンを横に置いているだけでネットにつながる。 これでプロバイダー代とかコミコミ、月525円。
なんか、すごいことになってます。
(なんか、すごいことになってます。といえば向こうの席のヤンキーたちも、なんかケンカでも始まりそうな雰囲気。ごくり。)
こちらも、それを横目に生ビールを、ごくり。
あ、ブログ、ブログ。
今回は、経営者の勇気というものについて。
勇気。
それはきっと迫力を生むでしょう。
迫力とは、べつに声や体が大きいとか、たたみかけるように社員を怒ったりすることをいっているわけではありません。
(お、なんか、ヤンキー二人がにらみあってます。)
例えば、接待交際費がありますが、これは個人事業の場合は限度額がなかったはずです。
あくまでも必要とされるものとなっていますが、想像してもらえばわかるようにそこにはチェックの仕様がないグレーな部分があります。
(ケンカか?おいおい、大丈夫かね。)
もちろん、それぞれの経営者の考えや会社の規定があるので一概には言えませんが、スタッフに対して「経営者の私もあなた達と同じく、私も毎月決まった額をもらい、そこから生活費を出している。」というのでなければ、経営者自身も心のどこかで後ろめたさを感じてしまい、指導や注意、または一緒に努力していこうということを言えないのではないでしょうか。
(ヤンキーたちがほえてます。おいおい、今いいところだから、あんまりうるさくしないでくれ。生ビールおかわり。)
そうしたとしても、社員は「どうせ経営者が儲けるだけだ。」と斜にかまえるものだし、それを(個人的に必要以上のお金を使っていないこと。)証明することはできないと言われるかもしれません。
たぶん証明できないでしょう。
(うおぉ!!ヤンキー、やってます!暴れてます。そろそろ店の人が対応したほうが・・・)
人はなかなか分かってはくれません。
だから、けっこう金で揉めます。
(店の人出てきた!!しかし、おばちゃん!!ダメだこりゃ。コップとか割れてます。ひぃ~。)
これは本当にあった怖い話ですが、、、 知人の経営者は、家族と一緒に働いていて、家族が勝手に決めた給料を要求されたらしいです。
その経営者は、家族ということもあって要求通りの額を払っていたらしいですが、しばらくするとまた額を上げられ、「それは、無理。残念だけど、やめてください。」って言ったら、辞めてからあそこの会社は給料をもらえないと言い出したあげく、包丁で襲われたようです。
完全に病気ですね。合掌。
(ヤンキーたち、店の備品を割ったりするのはさすがに良くないね。しょうがねえなぁ、止めに行ってきます。ブログの結論もうすこしだから、ちょっと待っててね。)
えぇ~っと。
確かに、経営者は誰でも搾取してると思われがちですが、しかし、ここで、ぼくが言いたいのは、「それでも、自分の給料に決まりを課し」ておく。というのがとても大切なように思います。
それは、証明できるできないではなく。
《自分を律し、そうする勇気》
が大切だ。
ということです。
そこの勇気があって、経営者としての迫力が生まれる。
(ヤンキーたちのところへ)
「ちみたち、そのエネルギーをもっと社会が良くなるように使えないかね?」
「ひっこんでろ、おっさん!!」
「はい。すみません。」と言って、ほのぼのおかみとすぐ帰ってきました。
えぇ~っと。 以上、勇気についてでした。