生うどんつちやブログ

鹿児島県鹿屋市にあるうどん屋です。

鹿屋のある情報誌にコラムを寄せました。

私は、鹿屋市笠之原で「生うどんつちや」といううどん屋を13年やっています。今回コラムを書かせていただくことになったのは、私は知人とフリーペーパーを作っており、ある方に相談をさせていただいたことがきっかけです。
フリーペーパーの名前は「やうやう」といいます。枕草子の冒頭「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際」からとっており、読み方は「やうやう」と書いて(ようよう)と読みます。が、私たちも含めてだれも(ようよう)と読んでいないので、今ではすっか
り、「やうやう」です。皆さんも好きに読んでいただけたらと思います。

新しいフリーペーパーを始めた私ですが、新しいことを始めるときにいつも頭に浮かぶ人物がいます。それは中田英寿です。
中田英寿は、当時Jリーグ、日本代表と活躍し、世界のトップリーグで成功した初めてのサッカー選手です。彼は、当時では珍しく自身のホームページを立ち上げ、既存のメディア対応、ファンとの交流、そして、自分が考えていることを自分の言葉で発信することをしていました。
2000年当初、中田の存在は時代のシンボルでした。新しい考え、新しい価値観、新しい時代。
中田だけではありません。ホリエモンこと堀江貴文が時代の寵児として話題にのぼりはじめたのもこのころです。
その頃に20代を過ごした私の実感としては、インターネットの普及、中田やホリエモンなどの新しい人間の登場、そして21世紀がはじまるという高揚感とともに、この社会は変わるというような雰囲気が確かにありました。そして、その息吹は風となり2009年8月30日にピークを迎えました。


あなたは言う。どうせ変わらないよと言う。政治には裏切られてきたと言う。しかし、あなたはこうも言う。こんな暮らしはうんざりだと。私は言う。あなた以外の誰が、この状況を変えられるのか。あなたの未来は、あなたが決める。そう気づいた時、つぶやきと舌打ちは、声と行動に変わる。そして、あなたは知る。あなたの力で、世の中を変えた時の達成感を。


このいささか感傷的な文章は、その日の全国紙の一面に民主党の広告として載ったものです。その日は第45回衆議院議員選挙の投票日であり、民主党の政権交代が実現した日でもあります。

もちろん、その後の顛末は多くの人が知る通りです。中田は引退し、ホリエモンは逮捕され、民主党政権は瓦解し、消えてなくなりました。

結局、この20年で私たちが学んだことは、雰囲気や空気感、風では何も変わらないことではないでしょうか。

最近、俳優の田中邦衛さんが亡くなりました。彼の人生をついやした代表作「北の国から」は、ドラマシリーズとしては20年前に終わっています。それでも脚本家の倉本聰は、ところどころで、続編の脚本や構想を書いては発表していることを考えると、あのドラマは、田中邦衛と倉本聰の私小説的な作品であり、田中邦衛が亡くなったことによってドラマは真の意味で終わったと言ってもいいと思います。
「北の国から」だけではありません。昨年は「男はつらいよ」の最後の作品があり、アニメでもつい先日に25年かけて終わったカルト的作品もありました。

これらの作品やその作り手に自分を重ねるなんておこがましいので、自分の仕事である飲食店を例にあげさせてください。先日あるとんかつ屋に行ったのですが、このコロナ禍のなかお客さんが次から次へと入っていました。飲食店なので繫盛の理由は、味や値段に、立地など色々な要素があるでしょう。その中でも私が考えるにその店の人気の一番の理由は、長く続けた店としての歴史が存在するからだと思っています。長いことやっていると飲食店は常連さんというものが少しずつできるものです。うちもうどん屋ですが、数多くの常連さんに支えられています。これからも小石を少しずつ積み上げるようにその数を増やしていくことが、繫盛店への道だと考えます。


紙面もあるので、そろそろ今回のコラムも終わりに向かいたいと思います。
2000年初頭にあったような、時代がかわる雰囲気はいまはどこにも存在しません。10年後にもないかもしれません。
しかし、その時代がどんな状況でも、私たち個人はそれには関係なく何かを続けることはできます。それは、サッカーなのか、ドラマや映画なのか、飲食店なのか、新聞やフリーペーパーなのかは、それぞれ違うでしょう。
時代はかわり、流行り廃りの頻度と上がり幅もここ数年は異常なことになっています。
それでも、何かを続けていつか振り返るとそこにそれまでやってきた道のりが残るようなものを残したいと思います。
何も変えることができなかったこの20年間で、私たちが学んだことはそれだけなのではないでしょうか。