あの伝説の経営者「藤田田」が立ち上げた日本マクドナルド。
マクドナルド創業者の藤田氏は、「日本にマクドナルドを定着させた功労者だったが、晩年は経営を誤った」(マクドナルド関係者)といわれている。1971年7月、銀座三越(東京)内に1号店「銀座店」を開業以来、93年7月まで20年以上かけてじっくりと1000店まで店舗網を拡大したが、その後は99年8月までのわずか6年間で2000店を新規出店するなど、店舗網を急拡大した。加えてハンバーガーを平日65円で売るなど、激しい低価格キャンペーンを展開、売上増を追求した。
なつかしさすら感じますね。
さすがに、これらの急展開は無理があったようで、藤田氏の晩年は業績があまり良くなかったようです。
それを引き継いだのが原田泳幸氏。
04年にアップル日本法人社長からマクドナルドCEOに転じた原田氏は、強烈なリーダーシップで経営改革を断行、それまで7年間も減少し続けていた業績を11年12月期まで9期連続でV字回復させた。
原田氏は、24時間営業やFC(フランチャイズ)展開に力を入れ、「100円メニュー」戦略を軸に、打ち出したマーケティング策が次々と当たり、マクドナルドの経営再建に成功。
「原田氏にとって『藤田経営』は反面教師。藤田経営の誤りを修正すればマクドナルドの業績V字回復ができた。それが原田マジックの正体だった。だから米本社との販促策連携など修正材料がなくなるとマジックのネタが尽きたのでは」と指摘する。
一方、マクドナルドの内情に詳しい証券アナリストは「原田マジックの失敗要因は、藤田経営の改革に腐心するあまり、現場力を低下させたことだ」
こうして、04年から11年まで8期連続プラスを記録し、「原田マジック」と言われました。
しかし、そのマジックもいつまでも続かなかったようです。
12年4月から全店売上高が突然減少。以降、12年6月、13年5-6月など一時的な小幅回復はあったものの、14年4月までの25カ月間、売上高減少が続いた。このため、同社の連結決算は12年12月期から2期連続の減収減益に転落することになったが、この結果を待つまでもなく、原田氏は13年8月、マクドナルドCEOを退任した。
どんな、経営者も時代や環境に合わなくなることときが来るということなのでしょうね。
Den Fujitaの商法〈1〉頭の悪い奴は損をする (ワニの新書)
- 作者: 藤田田
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1999/12
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 32回
- この商品を含むブログ (13件) を見る