最近、不景気な話ばかり聞きます。
消費税も上がることが決まりました。(なんでしょうか?この、民主、自民、公明の話にならない感は、、、おっとと。)
おそらくこれからどんどん不景気になっていくでしょう。
周りでもいくつか店が閉まりました。
そして近々閉める話がでている店もあります。
今のところは、僕の知り合いや友人の店はそんなことになっていませんが、これからはどうなるかわかりません。
「えっ?あそこが潰れたの?」なんて話がきっと出てくるでしょう。
もちろん、『生うどんつちや』もその可能性はあります。
そうなる前に言っておきたいことがあって、ここに書いておきます。
うちが潰れたあとだと、言い訳みたいですし、知り合いや友人の店が潰れたあとだと、ただの慰めの言葉にしかきこえないと思うからです。
これは店、会社の経営にだけ言えることではなく、個人のリストラや離婚なんてことにも当てはまると思います。
まず、その1。
「どんなにがんばっても潰れることもある。」ってことです。
冷静に考えれば、当たり前のことですが、どんな店でも潰れることはあります。
むしろ、潰れる店の方が多いです。
10年続く飲食店がどのくらいあるか、知っていますか?
10件中1件だけです。
あとの9件は、経営者の考えが甘かったのでしょうか?
努力が足りなかったのでしょうか?
もちろんそれもあるでしょう。
しかし、それだけではないはずです。
もし、そうならここ鹿屋の本町のシャッター通りをどのように説明しますか?
あそこでかつて商売していた商売人はすべて商才がなかったということになりますか?
そうではないはずです。
こんなことを書くと、
「いや、そうだ!あいつら商才がなかっただけだ。商売とはそんなに厳しくて、生き残るためにはそれこそ石に噛付いてでも続けていかなければならんのだ!」
みたいなことを言う経営者がいます。
そして、(これまでの話の流れからは意外かもしれませんが、)僕も基本的にそう思います。
ここでオシムの言葉
追いつこうとするから、離されるのだ
自分たちのスタイルを追求すべき。
サッカーにはすべて解決策がある。
そこがおもしろい
『サッカー』を、『商売』にでも『うどん屋』にでも変えていいと思います。
しかし、どんなに続ける意志や覚悟があっても、実際に続けられるかは別問題です。
なにがあるかは分からないのが人生です。
続けられるのも、一種の才能だと思います。
そして、商売が人生の全てではありません。
(つづく)