生うどんつちやブログ

鹿児島県鹿屋市にあるうどん屋です。

修業は10年必要か?

少し前の記事ですが、こういうのがありました。

namaudon.hatenablog.com

 

修業は10年必要か?

 

僕の結論を書く前に、僕の修業時代について書きます。

22歳のときに大学を卒業してすぐに香川県のうどん屋に住み込みで修業に入りました。その後、縁あって東京の料理屋に3年間という期間を設けて修業に入りました。

香川県で3年、東京で3年修業をしたわけです。

 

香川県でのうどんの修業は、修業というかその店や会社で働くという感覚が強かったように思います。もちろん多くのことを学び、今の自分があるのはその時の経験があったからです。

その後、僕は和食の基本を学びたく、3年限定という最初からの条件で東京の青山にある料理屋へ修業に行きました。

和食の修業は、いわゆる皆さんがイメージされる「和食の修業」という感じで、それはそれは厳しいものでした。

 

おやっさん(師匠)の料理は本当にすばらしく、店は東京の青山にあり多くの芸能人や有名人がお客としてやってくるようなお店でした。僕は未だにあんな料理屋に行ったことがないです。

僕のやっているうどん屋が、もし他の店とは違うとしたらそこで学んだ3年間があったからです。

 

このように良い面というか、貴重な経験を積むことができましたが、そうじゃないことも多くありました。

仕事はきついし、給料は安いし、怒られれば殴られるし、って感じでした。

こういうこともありました。ある日、殺虫剤のキンチョールが無くなって買い物のリストに入っていたことがあります。

 

キンチョール 450mL (防除用医薬部外品)

キンチョール 450mL (防除用医薬部外品)

 

 

僕は近くの薬局に入り、キンチョールを探しましたがありません。店員に聞くと在庫が切れているとのことでした。その店員が言うには、同じ成分でメーカーが違うものがあるということでした。僕はそれを買って店に戻りました。

嫌な予感はありました。当時、性格の悪い女の先輩がいて(あの先輩とオーナー娘の二人が僕が生涯会ったなかで最も性格の悪い人間で、その二人と一緒に働いているだけで、気が狂いそうになるくらい辛い日々でした。)なにか文句言われるだろうなと思って帰りました。

そしたら、案の定、その女の先輩は顔を真っ赤にして怒り出し、店を飛び出し自分でキンチョールを探しに行きました。毎日仕込みで休憩もないくらい忙しいのにです。たかがキンチョールくらいで本当に頭が悪い人でした。

 いや、なんとなく理屈もある程度は理解できます。買い物(仕入れ)で求められた品を絶対に手に入れることが大切だ。だとかなんとか。

しかしキンチョールですよ。専門家が成分一緒って言ってるのにです。

このように一事が万事で、和食の修業時代は嫌な思い出、つらい思い出ばかりあります。

当時は、地下鉄に飛び込んだらどんだけ楽だろうと毎日思っていました。

 

そんな理不尽なことばかりではなく、もちろん料理に対しても本当に厳しいところで、徹底的に料理の基本を叩き込まれました。(それこそ殴られながらです。)

 

味覚、包丁の使い方、仕込みの仕方、盛り付け、味の持って行き方、器、そもそも料理ってどういうもので、食材に対してどのような考え方を持つか、といった様々なことを身に付けることができました。

今では、和食からもう遠く離れてかなりの時間が過ぎてしまったので、あのころのようにはもうできていない部分も多々あるとは思います。(魚ももう全然触っていません。)

和食は奥が深いです。僕は当時、修業をしていて「これは和食の職人として一人前になりたいなら10年はかかるな」と肌で感じていました。

 

修業はとにかく時間がかかります。

和食では追い回し(おいまわし)と言われる買い物や皿洗い、仕込みの下準備などを経てから、店によってはまかないを作ったり、仕込みに少しずつ参加したりして、仕事をどんどん増やしていくというか、ステップアップしていくものです。

それは簡単に進んでいくものではありません。例えば長い期間頑張って、仕事を覚えて魚を触れるようになります。そこで穴子を捌いていて失敗すると、もうしばらくは魚を触らせてもらえないといった感じです。

失敗してもいいから穴子を100匹捌く練習ができたら技術は習得できます。僕も修業中、金があったら築地からこっそり穴子買ってきて練習するのになぁと思っていました。しかし、現実にはなかなか難しいです。

そんな、言ってみれば裏技みたいなことをすると確実に怒られるし、そもそも金なんかまったくありませんでした。

そんな裏技をやっているのが先の記事にあったような方法です。

このようにあります。

実は「鮨 千陽」は、調理師学校「飲食人大学」の卒業生と生徒で切り盛りをしているお店だったんです。この学校は、一般的な1年制の調理師学校のカリキュラムを「現場実践」と言うキーワードで見直し、現場で通用する技術をわずか3ヶ月という短期間で修得できる短期集中型のプログラムが特徴。

学校なら授業料払ってるわけですから、穴子100匹無駄にできます。

 

実際に10年かかっていたものが3年くらいで技術の習得が可能なのかどうかは僕にはわかりません。学校ですから、自分たちは可能と言うでしょう。

ミシュランで星も取っているようですし、実際かなりのところまでは出来るようになるのでしょう。

 

こう書くと、今までの職人は「けど、実際に店を始めたら、直面する様々なことを乗り越えていくのにはそんな裏技みたいなことでは、絶対に無理だ」と言うでしょう。

僕もそう思います。

生うどんつちやを始めてもうすぐ8年。

今まで本当に大変でした。今ではだいぶ余裕ができてきましたが、本当にここまでよくやれたなと思います。

今までやってこれたのは、つらい修業を乗り越えてきたからだと僕は思っています。

思っていますが、それは証明できることではないです。そもそも壁を乗り越える方法なんか修業では教わりません。それまで生きてきた経験全体で乗り切るというような感じかもしれません。

和食屋での修業をせずに、うどん屋だけで修業を終えて、讃岐にあるような安くて、簡単なうどん屋をやっていれば、今より繁盛していたかもしれません。(ありえる。)

だから、僕は誰かに同じように理不尽な修業に耐えれば、明るい将来が絶対に待っているとは言えません。

 

勘違いしてほしくないのですが、僕は修業10年が無駄だとは思っていません。特に和食などの奥の深い料理は本当にそれくらいかかると思います。色々な店を見ると言う意味でも10年くらい修業したほうがいいと思っています。

 

ただ、20代の10年は貴重です。 今、ゼロから商売をして思うことは、飲食店を始めるには技術が必要だけど、続けるには技術だけじゃダメだということです。

 

商売をしていると周りの状況は変化します。ここ最近は特に変化のスピードが速くなっているように感じます。

別に変化に対応すればいいというわけではないですが、同じことの繰り返しではじり貧だと思います。

 

それに、この修業についての問題は、飲食店全体の問題でもあると思います。修業が無駄とは言いませんが、キンチョールに象徴されるような無駄なことをしていると誰も入ってきません。

実際にここ最近ブラック企業の言葉があるように、僕なんかの印象では飲食店はどこもブラックだと思ってます。

それは、今までそうやって後進を育ててきたからです。

こんなことを続きていたら誰もこの仕事をしたいとは思わないはずです。

30歳で、手取りで10万あるかないか。これでは結婚はもちろん生活もできません。これでは若い人なんかは誰も入ってきません。

こうなってしまっては、先ほどの学校のような「システム」の流れはこれからも続くと思います。

僕は、大手の飲食店や、このような「システム」に対抗するには職人が個性を活かす個人の店が頑張るしかないと思っていますが、こんなことでは先はあるのでしょうか?

 

と、ここまで書いて、僕もうどん屋になりたい人にノウハウを教えるという意味で修業を受け入れることも必要だなと思うようになりました。修業と学校の中間のような感じです。将来はそういうこともやってみたいです。

 

 

完全理解 日本料理の基礎技術

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割烹 うまいもん 酒菜、酒肴、旬菜いろいろ

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