サッカーを楽しんだことはない。
僕はサッカーをしていました。
高校、大学とサッカー部に入り、それなりに一生懸命取り組んだつもりです。
大学のチームは、大学にありがちなサークルのような感じではなく、毎日真剣に練習するようなチームでした。
しかし、今だから言えますが、サッカーをやりながら心底楽しいなって思ったことはありませんでした。
なぜかと言うと、サッカーが上手くなかったからです。
この一言につきます。
人はうまくもないスポーツをやって心底楽しめるものなのでしょうか?僕には、よくわかりません。
基本ができていない。
それなりに一生懸命に取り組んで、なぜ上手くなかったのか?それは、高校からサッカーを始めた僕にはサッカーの『基本』が身についてなかったからです。
世の中には才能というのがあって、運動神経が抜群に良い人間が存在します。そんな人は高校からサッカーを始めようが、大学から始めようが、地方のどこにでもあるようなサッカー部ではレギュラーになれたりします。
僕にはそんな才能はなかったので、高校でも大学でも試合に全然出ないわけじゃないけど、基本的にレギュラーではなかったです。
スポーツをしていたことがある人はわかると思いますが、スポーツは試合に出ないと上手くなれません。
サッカーは団体競技ですから、みんなで同じように日々の練習はするのですが、練習の90分と試合での90分では、そこから得られる情報量や経験値には雲泥の差があります。
そして、試合に出た人間だけが、経験やその場の空気感、試合の流れ、などを試合に出れば出るほど身につけることができます。
こうして試合に出る人、出ない人、その差は開くばかりです。
僕のように『基本』が出来ていない選手はそもそも試合にも出れないし、試合に出ても落ちついてプレーなんかできるはずありません。
試合に出させてもらってもミスをして、その後は使ってもらえなくなります。
基本は小さい頃から身につく。
ここで言うサッカーの『基本』というのは、来たボールを止めて、そのボールを狙ったところに蹴ることができる技術のことです。
レギュラーの人たちは、小学校からずっとサッカーをしてきたような人ばかりで、そのような人は小さい頃からサッカーをして、自然と『基本』が身についています。
公式記録では僕は高校からサッカーを始めたということになっていますが、正直に言うと小学校のときに兄の影響で始めたのです。
しかし、その当時、夕方のアニメで『北斗の拳』が始まったので、行くのをやめました。
ユワッシャー!!
やめたことを後悔してきた。
サッカーに関しては先に書いたように、高校、大学とこんな思いをずっとしてきました。
つまりは『僕も小学校の頃からずっと続けてやっていたら、基本が身についていて、もっとサッカーが楽しかったんだろうな。』と。
だから僕は、ときどき想像していました。
『北斗の拳』にはまって少年団に行かなくなった小学校時代の自分が泣こうが、わめこうが『てめぇらの血は何色だ!!』と罵倒されようが、少年団に引きずって連れて行かせたいなと。
しかし、吹かれたホイッスルは取り消されることがないように、そこまで人生は寛容じゃありません。
基本の大切さを学んだ。
僕はサッカーでのこの経験で『基本』の大切さを学びました。
『基本』が出来ていないと、スタートラインにも立つことができないんだ、と。
その後、僕は料理の世界に入りました。
その修業は、それはそれは厳しいものでした。
何度も涙を流し、何度もやめようと思い、何度も生きていくことすら嫌になるような日々でした。
それでも、なんとか歯を食いしばってやり抜けたのは、サッカーで学んだ、『基本』の大切さを知っていたからです。
『いま、ここでがんばって料理の基本を身に付けなければ、その先はないし、基本を身に付ければ、きっと役に立つ。』そう信じて、地獄のような修業の日々を乗り越えて来ました。
もしかすると、小学校でサッカーをやめたおかげで、その大切なことを学ぶことが出来たのかもしれません。
そう考えると、『我が生涯に 一片の悔いなし!!!』 とも思ったり・・・。
おしまい。