生うどんつちやブログ

鹿児島県鹿屋市にあるうどん屋です。

夏休み特別企画*小学生やサルでもわかる、飲食店開業。

何が言いたいのかよくわからないとの声もある当ブログですが、今回も夏休みということもあって、小学生やサルでもわかる内容にしてみました。

 

もし、小学生が『ぼく、たべものやさんをしたいの!!』と駄々をこねて、言ってきたら・・・。

 

駄々をこねる子

 『やめなさい!!』としかります。

 

以上。

 

 

 

 

これで、終わると夏休みの自由研究にもならないので、もう少し続けます。

こんど僕の小学校時代の同窓会があります。それに関連して、小学生時代の文集を幼なじみがまだ持っていたらしく読み直す機会がありました。

 

皆さんも卒業文集とかに『将来の夢』なんて書いたことがあったはずです。

実際に大人になって夢がかなっているものなのでしょうか?

 

夢がかなっているのは一割

僕の卒業したとき6年生は29人のクラスが二つある58人でした。

その中で、今回僕が今をよく知る幼なじみ20人の『将来の夢』を読み返すと、今現在も『将来の夢』と同じ職業についている人は二人でした。(ちなみに、女子が一人→看護婦。男子が一人→建築関係。)

これを、多いと見るか少ないと見るかは意見が分かれるところでしょうが、まだこれにはちょっと続きがあります。

 

例えば、『サッカー選手になりたい』という夢を書いていた男子は4人いました。

その他にも、テニスや剣道、などを活かした仕事に付きたいと書いている男子が2人いました。

もちろん、その6人中プロになれた人は一人もいません。それでも、その後、中学、高校、社会人となってもそのスポーツを比較的真剣にやっている友人は3人います。その三人共そのスポーツがなければ、今現在の彼達はなかっただろうと僕からは見えます。

 

女子に関しては、最も人気があった『将来の夢』は看護婦(当時は看護士という言葉はありませんでした。)と保母さんです。女子はやはり小学校のときから現実的なのかもしれません。と言うのも、「将来の夢は保母さんと書いて、今は看護士。その逆の、将来の夢は看護士と書いて、今は保母さん。」という女子が4人います。

 

僕に関して言えば、僕の『将来の夢』は学校の先生でした。もちろん、今はうどん屋をしているので、今後その夢が叶うことはないとは思いますが、それでも僕は20歳くらいまでは、学校の先生になろうと思っていました。(教員免許も持っています。)

 

意外とつながっている将来の夢

何が言いたいかというと、20人中、結構な確率で当時書いた『将来の夢』がその後の進路に影響を与えているということです。

そのように考えると小学校のときに考えていた『将来の夢』というものも、「たかが子供の思い込み」と馬鹿にはできないですね。

 

 

話を最初にもどして、小学生が『ぼく、たべものやさんをしたいの!!』と駄々をこねて、言ってきたら・・・。

本当にしたいのなら、僕や誰かが「やめなさい。」と言ってもやればいいんだよ。

本当の才能や意志っていうのは、打たれれば打たれるほど、それ自身が強くなるものです。

 

「この道を行けばどうなるものか。

危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし。

踏み出せば その一足が道となり

その一足が道となる

迷わず行けよ 行けばわかるさ」

 

一!

 

二!!

 

三!!!

 

 

うっき~!!!

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