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生うどんつちやブログ

鹿児島県鹿屋市にあるうどん屋です。

マクドナルドの60秒サービスで思うこと

マクドナルドの60秒サービスというものをご存知でしょうか?

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僕はつい昨日に知ったのですが、内容は

”1月4日~31日に実施する「ENJOY!60秒サービス」では、会計終了から商品を渡すまでの時間を砂時計で計り、60秒を超えた場合はビッグマックなどのバーガー類の無料引き換え券を提供。さらに、60秒以内に渡せた場合でも、コーヒーSサイズの無料券を提供する。期間中すべての注文が対象となる。”

http://www.advertimes.com/20121225/article97593/

全ての商品が対象というのが、すごいですね。

すごいというより、(はっきり言って)やりすぎですね。

店によっては、違いがあるようですが、レジの横に60秒の砂時計を置いて、タイムオーバーになったら無料券を渡す。という内容のようです。

そんな中、めちゃくちゃな要求をするお客さんもいるようです。

『あえて塩抜きのポテトを頼む客急増』

ネットでの情報なので、大げさな話になっているのかもしれませんが、まぁこういうお客さんもいるでしょう。

最初この話を聞いたとき、僕は冗談かと思いました。

かつてマクドナルドには「スマイル”ゼロ”円」というのがありました。(今もあるでしょうが)

メニュー表の一番下に『スマイル0円』とありました。

これはいいですよ。

笑顔の素敵な接客だと、こちらもいい気持ちにもなれますし、仮に慣れないスタッフのぎこちない笑顔をみても、こちらも微笑ましい気持ちになれます。(スマイルだけに)

しかし、砂時計はどうでしょう。

心臓の弱い僕なんかは、「え、どうなの。間に合うの、砂落ちちゃうの!?」と気が気じゃないです。

少しでも速く出したいというのは分かります。

こんな時間のかかるうどん屋している僕でさえそう思います。(すべてゆがき立ての麺を出していますので)

しかしお客さんの誰もが、スピードより、注文した商品が間違いなく、しっかりとした工程で作られることを望んでいるはずです。(※1)

そもそも、どんな狙いがあるのだろうか。

一つ考えられるのは、スタッフを鍛えたい。

将来的に、より少ない人員で店を回せるようにしたい。

という狙いの可能性はあると思います。

しかし、もしそうであるならば、人件費の管理を厳しくすればいいだけのような気がします。

例えば、「今までは、売上に対して『10%』の人件費を適正な数値としてきた。だが、今回は実験的に『9.5%』に挑戦してもらう。そのようにアルバイトのシフトを組むように」と店長に通達すれば、それですむような気がします。

実際、そのような数値管理はものすごく細かくしているはずです。

もう一つ考えられるのは、これを一つのキャンペーンとして、話題作りのためにやっているということです。

『今回、60秒で商品を提供してもらう。今のうち(マクドナルド)なら、ほとんど達成できるだろうが、無茶な注文をするお客さんもいるだろう。忙しいときはできないときもあるだろう。全てを達成するのは無理なのは百も承知だよ。だがな、それよりもこのキャンペーンで多くのお客さんがどっと押し寄せる。そっちのほうがホントの狙いなんだよね。うひひ。』

確かに、そういう考えはできます。

ネット上ではそのような意見も多くありました。

しかし、僕はこういう裏のある(陰謀論的な)ことは懐疑的です。

わざわざ、そのようなことをあのような大企業がするとは思えません。

今回のキャンペーンに限らず、そのような狙いや、裏があることが外部にばれたらそれこそ大打撃です。

そんなリスクをとるようなことはしないでしょう。

話題づくりのキャンペーンなら、過去に半額とか、無料券を配るとか色々やっているわけです。

そもそも、今でも十分速いと思いませんか?(※2)

なぜ、このようなサービスをそれでもやっているのか?

僕が思うに、お客さんの思いを忖度(そんたく・・相手の気持ちや考えを推し量ること。)しているからだと思います。

それも、過剰に。

先ほど、※1、2において僕自身の考えを書きましたが、それはあくまで僕の考えであって、そう考えない人は絶対にいます。

『いやいや、一秒でも早く食べたい。どうせ、ファーストフードなんだから、食べられたらそれでいいから、とにかく早く出してよね。まだまだ、遅いよ。』といったようにです。

《そのような、一つの意見や要望を、とにかく聞き入れなければいけない。》

《一つでもクレームを減らすことが、サービスである。》というような、過剰な忖度が、このようなサービスをする最大の原因だと僕は思います。

そうであるから、たとえば

『飛行機に赤ちゃんを乗せるな』というような、過剰な要求をしてくる人も出てくるし、そのような意見に必要以上に耳を傾けてしまうことにもなるように思います。

以前は、大半の人々が思うことは「われわれ」はこう思うというだけで、その正当性がありました。

しかし、今現在はその「われわれ」がほとんど、見えません。

見えないどころか、「われわれ」といったものが「わたし」や「俺」といったものと同等に近いような扱いがされています。

それは「われわれ」が見えなくなっているからでしょう。

しかし、それでいいのでしょうか。やはり、「われわれ」というものがそこにある。

いや。

そこに、あるものとして、物事を判断する。

そういった、「われわれ」というものをもう一度、手にしたいです。

ぼ、く、は。