生うどんつちやブログ

鹿児島県鹿屋市にあるうどん屋です。

大好きと叫んでみよう。

いくつか閉める店も出てきました。

他所の心配はいいから、自分の店を心配しなさいと言われるかもしれませんが、いくつか思うことがあるのでここに書きます。

ぼくはずっと料理の仕事をしてきました。料理の世界にいたと言うと大げさですが、ずっと料理のことを考えてきました。(まぁ、ぼくの場合はたかがうどんですが、、、)

最初は何も分かりません。言われたことをやるだけです。いや、言われたことすらできないところから始まります。

それが、毎日のように怒られて、手を動かし、働いていると、少しずつ周りが見えてきます。それはまるでサッカー選手が少しずつボールをキープできるようになって、ゲーム中に周りが見えてくるのと同じです。

すると料理に対する世界観のようなものが自分の中に出来てきます。

その世界観は、例えるなら小さな芽のようなものです。

あるとき、何もなかったはずのところにポコッと芽が出ていることに気付きます。

さらに修業を重ね。じっくりと時間をかければ、その芽は双葉を付け、幹は伸び、枝が増えて、大きく、太くなっていきます。

その芽がどこまで大きくなるかは、その人次第ですが、毎日のようにずっと考えていると、自分なりの料理に対する世界観や価値観が反映された植物に育っていきます。

修業を重ね、人によっては自分の店を持ってからも、知識や技術、あるいは商売のノウハウや感性を栄養にその植物はどんどん上に伸びていくことになるでしょう。

それとは反対に、自分の料理に対する世界観や価値観は、まるでその植物の根を掘っていくようなものです。

掘って、掘って、掘って。どんどん掘ると、根っこの部分、地中にまで行ってしまいます。

すると、ほとんどの人が気にしないようなところや、自分だけしか分からないようなことにこだわっていきます。

こだわると言っても、その全てが「高級で、上品で、技術的に高いもの」と言っているわけではありません。

店の雰囲気、料理も含め、そこに流れる空気のようなものにこだわるということです。

町の定食屋でもいいし、ざっくばらんな居酒屋でもいいし、もちろん、うどん屋でもいいはずです。

それがお客さんとピタッと合えばいいのですが、先に述べたように、自分にしかわからないような世界観にどんどん入っていくので、なかなかお客さんにピタッと合うようなことはありません。

それでも、中には「ここ、いい店だよね。ここの○○が一番だよね。」と気に入ってくれるお客さんがいるはずです。これが常連さんです。(もし、いないならその店は早々に潰れるでしょう。人の少ない田舎では特に。)

とはいえ。こだわって、やっていると、なんだか不安になるときがあります。

売上が良いときは気にならないのですが、そうじゃないときは、自分は間違っているのか?と自問自答してしまいます。

夜一人、暇な店にいると、世はクリーンエネルギーの時代なのに、未だに真っ黒になりながら石炭掘ってる工夫のような気分になります。

そんな夜は、帰って酒を呑みます。

呑んで、呑んで、呑まれて、呑んで。くだをまきます。

おとと、なんか話が脱線しました。

周りの立派な木々が気になることもあるでしょう。

しかし結局は、周りの立派な木々が気になっても、自分の根っこを掘っていくしかないように思います。

黙々と、自分のペースで、自分を信じて掘っていく。

自分の根を掘って、掘って、掘っていくと、料理人に限らず、同じように掘っている人に出会うこともあります。

そういうときは、ほっとします。一緒に腰をおろして世間話でもできたらうれしいです。

そして、ぼくは思うのですが、そのように掘っていった先の先に、多くの人に共感されるような普遍的なものにぶつかるような気がします。

そうであれば、いいなぁと思いながら掘っています。

それにしても、ただでさえ不景気なのに、大手の飲食店や安売りの飲食店は次々できます。

とても厳しいです。

ぼくの先生がTPPの問題にこのように言っていました。

『TPPというスキームは前にも書いたとおり、ある種のイデオロギーを伏流させている。

それは「すべての人間は一円でも安いものを買おうとする(安いものが買えるなら、自国の産業が滅びても構わないと思っている)」という人間観である。』と

この言葉を思い出さずにはいられません。

それは、どう考えても降りることのできないシーソーゲーム(@浜田省吾)です。

けれどそれは商売やってるんだもん、しょうがないです。

ぼくたちにできることは、「ふぅ、やれやれ。しょうがないよね。」と毎日、自分の手の届く範囲の仕事をこなしていくことしかできないように思います。

しかし、そんな周りの店が、自分の立ち位置をはっきりさせてくれる。ということもあります。

セルフの安い店があるからこそ、うちみたいなうどん屋も個性を出せて、目指すところがはっきりします。

そうであるならば、丸亀製麺もかわいいものです。いや、かわいいというより、むしろ好きです。もっと言えば大好きです。

よし!丸亀製麺大好き!!と叫んでみよう。

「ぼくは、丸亀製麺がだいs、だいs、す、す、、、寿司?」

ぶはぁ、はあぁ、はぁ、はぁ、、ごめんなさい。やっぱり言えませんでした。