先日書いた、働く《ということが》できる。というのをもう少し詳しく書きます。
たまに、
『やりたいことがみつかりません。どうやって見つけたのですか?』
と質問をうけることがあります。そんなこと、ぼくに聞かれても・・・。と思いますが、きっかけがあったわけではありません。
修業にいって、働いてみて、仕事を覚えようと一生懸命に毎日働いただけです。そのときは
「あ、この仕事自分に合ってるなぁ」
とか、
「これがずっと探してた自分のやりたいことだ!」
なんて思ってたわけではありません。
というか、野菜の切り幅が2ミリ違うからといって殴られながら働いているのに、
「あぁ、やっとみつけたぁ。」
などと思うわけがありません。
今まで続いているので、
「まぁ、嫌いじゃないかな?」
くらいなものです。
たぶん、働くということがきらいじゃないんだと思います。
思い出すのは、中学校とか高校生のときの、掃除時間などは働かないのがいると本気で怒るような。そんなやつでした。(そんなやついますよねぇ~。)
この、○○ということをすることができる。(○○ができるではなくて)と言うのは、実はとても大きなことかもしれないと、ある友人と話していて思うようになりました。
その友人は、地元の高校から現役で東大に入ったような秀才です。
彼が言ってたのは「勉強ができたというより、勉強というようなものを、するということができたわけよ。」と葉巻片手に言っていました。
分かるような、気がします。